『I don't know his name 2』
「…ボッシュ?」
―――真夜中。
誰にも(パートナーであるボッシュにすら)何も言わず部屋を抜け出し、何か秘密を持っている筈のリュウは、いたって不思議そうな表情で小首を傾げ、ボッシュの名前を呼んだ。
そのごく自然な表情に、ボッシュの眉が軽く寄せられる。
「……お前、こんなとこで何やってんの」
寄せられた眉もそのままに、ボッシュは不快げに一言をぶつけた。
「…あ」
リュウはその言葉に、今更のように状況を自覚したのか……一歩、軽く退く。
……まるで、ボッシュから離れようとするかのように。
「……」
それを、ボッシュはひどく不愉快そうに眺めると。
手を伸ばし、リュウの細い手首を無理やり捕まえて。…彼の動きを止めさせた。
「…ボッシュ…?」
リュウが、躊躇ったようにボッシュの名前を呼んだ。
「お前さ……ここんとこ、毎晩部屋から抜け出してるだろ?」
ボッシュは、相棒の手首を握る手にいっそう力をこめて、片頬を軽く歪める。
「……何してんの?」
軽く、あくまでも雑談のような口調で。
しかし、それは間違いなく詰問だった。
リュウは困惑と怯えの混在した表情で「なにって…」とボッシュの言葉を復唱する。
「こんな…」
彼は片頬で笑ったまま、軽く足元の残骸を蹴飛ばした。…それに、リュウが小さく息を呑む。
「…ディクの残骸だらけのトコでさ。毎晩毎晩、何してんの。お前」
リュウは軽く身を捩って手首を解放させようとするが、ボッシュの握られた掌は微動だにしない。
「……別に、…何をしているってわけじゃ…ないんだ」
やがて、リュウは軽く諦めたように吐息しながら……呟いた。
ぎゅ、と剣の柄を握る掌に力がこめられる。
ボッシュはそのとき、今更のように握った手首が冷たい汗で濡れていることに気づいた。
じっとりと、寝汗で濡れた相棒のベッド。
アレの原因はコレか、とボッシュは冷たい汗の感触に眉を寄せる。
「何をしてるでもない? …何だよ、それ」
ボッシュはからかうようにリュウの目をじっと見つめ、は、と短く笑った。
「毎晩毎晩こそこそと出かけてたくせに。…それとも、お前夢遊病かなんかだっけ?」
「…ムユウ…ビョウ…?」
初めて聞く単語に、リュウの眉がそっと寄せられる。ボッシュは小馬鹿にしたように小さく笑った。
「夜中、夢を見ながらフラフラ出歩くビョーキのことさ」
「……」
リュウはその答えに、ちょっと笑う。
「そうかもしれないな。…俺、その夢遊病ってやつなのかも」
そして、彼はぼんやりと辺りを見渡して、ゆっくりと瞬きをした。
「眠れないんだ。……何故だか分からないけど」
そのままゆるゆると首を振り、言葉をゆっくりと押し出す。躊躇いがちに、けれど、迷いなく。
「……それで、眠れないままベッドを抜け出して……、ここに来る。で、しばらくぼーっとしてから、また戻るんだ。そうすると、何故だか眠れる」
どうしてだろう、とリュウは困惑したように微笑む。
……実に見慣れた、相棒の少し曖昧な笑み。
それをボッシュはじろじろと見つめ、ふう、と息をついた。彼はそのまま、ぱ、とリュウの手首を解放する。
突然解放されて、リュウは軽くたたらを踏んだ。それを冷たく見つめ、ボッシュは宿舎の壁に寄りかかった。
「で? ぼーっとするって? ……さっきみたいにディクの死体の真ん中で、突っ立ってるわけか?」
「え…あ、うん」
リュウはこく、頷く。
「たまに素振りとかもするけど……ただ、何もしないで、この中に立っているだけでいいんだ。……そうやってぼんやりしてると、また眠れるようになる」
「ただ単に疲れたから眠れるようになるだけだろ」
「……そうだね。そうかもしれない」
ボッシュの単純な言葉に、リュウは笑った。
控えめな笑い声は、それでも夜の静寂の中だったゆえに大きく響いた。
しんとした空気の中、響く笑い声は吸い込まれるように消えていく。
リュウはまたふらりと一歩踏み出すと……、そっと目を伏せた。
「ディクを、さ」
そのまま独り言のように、彼はゆっくりと呟く。それをボッシュは聞くともなしに聞きながら、暗い天上を見上げた。
「ディクを作って。……殺して、こんな風にゴミみたいに捨てて。…それって、もしかしたらとても……怖いことなんじゃないかって、考えることない?」
自嘲気味に微笑んで、リュウは下を向いたまま訊ねる。
ボッシュはあっさりと即答した。
「ないね」
そして軽く肩をすくめると、口元を歪め「つうか、お前頭大丈夫?」と逆に聞き返す。
「……」
リュウは否定も肯定もせずに、軽く唇を開けて、閉じる。
―――彼らは、レンジャーだ。
この下層区の治安を維持し、それを乱す存在……暴走するディクなどを躊躇なく狩る存在でなくてはならない。
「……わからない」
リュウは躊躇いがちに答えた。その答に、ボッシュはこめかみの痛みをおぼえる。
「おい…、勘弁しろよリュウ…」
「ごめん…」
ボッシュの反応に―――正しいレンジャーとしての反応に、リュウは謝罪を口にした。
「昼間、ディクを狩ってるときとかには……何も感じないんだ。ただ、夜中にふっと目が覚めたときとか、一人でぼんやりしているとき。そんなことを……考えちゃってさ」
……嘆息。
ボッシュは首を振って(処置なし)とうんざりした様子で溜め息をついた。
「で、何。ここで昼間殺したディクにお詫びしてるってワケ?」
「そうなのかな…?」
「……」
リュウはまた、不安定な様子で呟いた。ボッシュの目が完全に半眼になる。
その様子に、ボッシュの相棒は「ごめん」と力なく言った。
「ただ……怖いんだ。俺。……いつか、何も感じなくなってしまうような。…気がして」
それは弱音だ。
ボッシュは、これ以上脆弱な相棒の言葉を聞く気になれず、さっと身を翻した。
「言っとくけど、明日も任務あるんだからな。…こんな下らない夜更かしで、俺の足引っ張るなよ?」
そう言い捨てて去れば、彼の背中に向かって「うん」と答える相棒の声。
(処置なし)
ボッシュは胸中で再度呟いた。
(極めつけのローディーだ。あいつ)
ひどくうんざりしながら、また馬鹿馬鹿しく感じながら。
* * * * *
相棒が帰ってきたのは、明け方も近い頃だった。
ぎきぃ、と軽く軋むドアの音で、それに気づいたのだ。
ボッシュは目を閉じたまま、相棒の足音を聞く。
彼はそっと、息を殺すように歩きながら……一瞬立ち止まったようだ。
そして、しばらく立ち止まり―――沈黙してから。
かたりと小さな音を立てて、ベッドに潜り込んだ。
* * * * *
ディクを斬る。
それは、レンジャーにとっては、ごく当たり前の行為。
暴走している機械のスイッチを切るようなものなのだ。……要するに。
(それができなくなったら、そいつはもうレンジャーとしてやっていけない)
つまり、レンジャーとしては欠陥品だということだ。
ボッシュは、黙々と通路のディクを排除していくリュウを眺め、目を細める。
『昼間、ディクを狩ってるときとかには……何も感じないんだ』
その耳に、昨晩の相棒の吐息じみた呟きが蘇った。
『ディクを作って。……殺して、こんな風にゴミみたいに捨てて』
困惑しているような、自嘲しているような、嘆いているような。
そんな、奇妙な表情で、呟いていた彼。
『…それって、もしかしたらとても……怖いことなんじゃないかって、考えることない?』
もしかしたら、相棒は笑っていたかもしれない。
困ったように、戸惑うように。
……どうして自分はこんなことを考えるのかな、と躊躇いがちに笑っていたかもしれない。
『……怖いんだ。俺』
照明は、相棒の顔をうまく照らしてくれなかった。
ボッシュは、深々とディクの一匹の腹に刃を突き立て、ふと思案する。
あいつはあのとき、どんな顔をしていたのだろうか、と。
その一瞬の隙を突くように、横から小柄なディクが一匹襲いかかってきた。
ボッシュは面倒そうに剣を引き抜き、迎撃しようと構えを作る。
しかし、そのディクの牙は、ボッシュの元まで届く前に力尽きた。
「……ボッシュ」
か細い断末魔の声をあげて倒れ伏すディクを、地面に縫いとめ。
……たった今、ボッシュを襲おうとしたディクを仕留めた相棒は、小さく笑った。
「どうしたの。…らしくないね、戦闘中にボッシュがぼんやりしてるなんて」
剣を握った掌は、ディクの体液でべったりと汚れている。
ボッシュはそれをちらりと眺め「悪い」と、軽く肩をすくめた。
「腕、結構上がったんじゃない? お前」
ざん、とまた小うるさく寄ってきたディクを切り捨て、ボッシュは笑い返す。
リュウは照れたように微笑み「そうかな」と嬉しそうに言った。
『……いつか、何も感じなくなってしまうような。…気がして』
―――昨晩の、か細い相棒の呟き。
その声が、また耳元に蘇ってくるのを感じながら。
ボッシュは、向かってくるディクの胸元へ思い切り剣を突き立てた。
自分の相棒は、どうやらまだ完全な欠陥品ではないようだと。
安堵にも似た感情を、ちらりと胸のうちに浮かべながら。
* * * * *
(それでも)
ボッシュは天井を睨みながら、小さく舌打ちした。
(それでも、お前はまたフラフラ出歩くわけか?)
ぎきぃ、と閉められた扉の音。
どうしても音の出てしまう立て付けの悪い扉を、出来る限り音がしないように閉める。
その閉め方がいかにも彼の相棒らしく、ボッシュはベッドの上の段から下を覗き込んだ。
「……やっぱりな」
そこに、リュウの姿はない。
ボッシュはきつく眉を寄せ、ぎしっ、とベッドに身を投げ出した。
きっと、彼はまた、昨日の場所へ行っているのだろう。
ぼんやりと、ただ佇んでいるのだろう。
剣をゆるく握り、昼間は血でべったりと汚れていた掌を、汗で濡らして。
感じないことへの恐怖と、感じることへの恐怖。
今夜も、ボッシュには理解できない感情のせめぎあいの中にいるのだろうか。
(……面倒くさい奴)
ボッシュは、小さく欠伸をした。
今日は何時頃に帰ってくるのか。
そんなことを予想することすら億劫で、ボッシュはとろりと目を閉じる。
『ここで昼間殺したディクにお詫びしてるってワケ?』
呆れ果てて吐き捨てた、昨晩の自分。
そうなのかも、と曖昧に答えた相棒。
ボッシュはそれを何となく思い出しながら(そういえば)と古い記憶をぼんやりと漁る。
――失ってしまったものを悔やみ、辛いことが起こらないようにと思うこと。
――自分の力では到底適いそうにないことができるようにと、願うこと。
――罪を厭い、それを抱えることに耐えられなくなって、告白すること。
そうやって自分ではない何かに頼ることを、「祈り」と呼ぶのだと、聞いたような覚えがある。
(自分ではない誰かって、誰だよ)
ボッシュは小さく鼻で笑い、今度こそ本当に眠るために身体から力を抜いた。
瞼の裏で、相棒が表情を見せぬまま、小さく笑う。
彼は今、名前も知らない誰かに祈って≠「るのだろうか?
「……そんなの、俺の知ったことじゃないけどな」
彼は小さく笑って、呟く。
…哀れで脆弱なローディー。
きっと彼の相棒は、明日も精一杯の牙と爪を振りかざし、軋む心を抱えて足を引きずるのだろう。
『怖いんだ』
囁くような声で、ぽつんと呟いた彼の声。
……その引きつれたような声を聞きながら、ボッシュは短い眠りについた。
END.
い、意味が分からない……ッ;;
……どうなんだろ……この話……;
ちなみに、タイトルの意味は「私は彼の名前を知らない」です。…だと思います。(ちょっと待て)
この「彼」は、一応「神」をイメージしたんですが……。
なんだかイメージがどうのこうのという以前に……これで終わっていいのか……? …みたいな……!!
……ホントごめんなさい。(頭抱えて)
今日も結構ギリギリです。(そんなんばっかやな)